銀泉いづみけん GINSEN/www.izumiken.com
「命の旅」の途中、出逢えたものの感動を、金属に結晶してみました。台東区浅草2-26-5
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プロフィール

GINSEN 泉健一郎

Author:GINSEN 泉健一郎
いづみ けん

神奈川県横浜出生
(お茶の水)文化学院卒
日本国内行脚の旅
株式会社『白金』14年間勤務のち独立
伝統工芸士
文化学院『金工』もと非常勤講師12年間
日本彫金会会員
東京金銀器工業協同組合常務理事
現在浅草に工房・店舗・教室開設
 台東区浅草2-26-5
 TEL 03-3841-7361



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日本の銀製品の歴史 
八丁とんぼ


その昔、大陸では騎馬民族の移住生活により、
割れない金属器が使われていたと推測されます。

その製作技術は奈良時代にわが国へと伝わり、
正倉院御物のなかに幾つか銀の器が見られます。

その後、日本国内に於いて天皇家の食器や、
戦国の武具の飾り等に銀が用いられ、
また、金や銅との合金も作られ、
日本独自の発展を遂げました。

一般の人たちに伝わるのが、江戸元禄後期のことです。
町の旦那衆が豊かとなり、職人に簪、印籠、煙管など作らせ、
町人に身近なものとなっていきます。

その後明治に廃刀令が下り武具刀剣類の飾り職人たちは
花鳥風月を織り込んだ花器、人事風物誌的な置物、
西洋文明的な装身具類などへと、古来の技を活かしていきます。
万国博覧会にも出品され、世界的に高い評価を受けました。

第二次大戦後、日本に駐留するアメリカ人が、
祖国への土産にと大量の銀製品を購入しました。
現在のストラップ的な小物から、
装身具、食器、調味料容器、キャンドルスタンド、
等などかなりの種類と量が生産販売され、
これが今の東京銀器産業の発端となった次第です。



   


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テーマ:可愛いアクセサリー - ジャンル:ファッション・ブランド


この記事に対するコメント
インターネットでの販売はしていないのですか?
【2006/05/13 11:19】 URL | ゲストさん #wyffVNu2 [ 編集]

ネット販売
少しばかりですが、作りました。左上、銀泉オンラインストアをクリックしてください。
【2007/11/14 20:46】 URL | いづみけん #- [ 編集]


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